鼻マスク
今朝の新聞記事やTVニュースバラエティ番組で、マスクから鼻を出したままにしている人がいることを問題にしていました。マスクが果たしている微粒子の非透過機能を可視化したスーパーコンピュータのシミュレーション映像がよく放送されますが、ああしたイマジネーションをコンピュータを使わずに脳裏に浮かべてしまうのが、僕ら映像演出者の習性です。マスクから鼻を出すことは、マスクをする意味がまったく無いように思えます。
映像制作者の思考習性
人がものごとを理解・咀嚼して、そのことを他人と共有することが「コミュニケーション」と言えます。このコミュニケーションに映像というメディアコンテンツを使い、企業の広報や宣伝、教育などのお手伝いをするのが、僕らBtoB映像制作業です。
こうした映像制作業で働く者、特に脚本家や演出家の頭は、日常的に情報(言葉)や文書・単語をリアルタイムに、画像や映像に置き換える習性を持っています。
例えば講演者が様々な事物の例と特徴を話しているとすれば、それぞれの事物をアイコンに置き換え、特徴別にA,B,Cというグループに分けて、ときにはA&BとかB&Cに分類して、その集合概念図を脳裏に描いたりします。
「病床利用率」
いま新型コロナウィルス感染症重症患者のためのベッドが足らない「医療崩壊」が叫ばれていて、ニュースではその逼迫度を病床利用率で伝えています。
しかし、「70%」と伝えると「30%も空いているんだ」と感じてしまうのではないか?と危惧するのも、映像屋の習性です。医療関係者ではない一般の人が、これを円グラフや棒グラフで想像すると、青い部分が3割もあれば「まだ大丈夫」と思ってしまいます。映像というのはそういう印象を与えるものです。
この利用割合を計算している分母が10だったら、3床しかないことになり、明日1日の重症患者増加が4人だったら、医療崩壊です。
だから、医療逼迫を伝えるならば、病床利用率だけでなく、母数となる重症患者対応病床数や1日の重症化患者数を合せてグラフィック化したイメージのほうが、正しいコミュニケーションができます。
「わかりやすく」という脅迫
一般市民や様々な論客が同音異句に「わかりやすく伝えて欲しい」と言います。でも僕はこの「わかりやすい」の多くが、「ひとことで」とか「一文で」という意味で使われていることに、非常に危惧を感じます。わかりやすくすると、そこから「外れるけれど必ずある事実」を例外にしていまい、置き去りにするからです。
「わかりやすく」は単純化ではない
「事実」は決して単純ではありません。複雑な事情をすべて網羅する「ひと言」など存在しません。僕ら映像屋に課された役割は、事実をできるだけ網羅して正しく伝える=映像化することだと考えています。でも、かならずしも短く伝えられるとは限らないことはお断りしておきます。短くすると必ず「置き去り」が発生します。誰もが、自分が置き去りにされる側に入るかも知れない、と認識すべきだと思います。
留言