共同責任=共同無責任
ITサービスを提供している企業と取引(こちらがクライアント)すると、最初のとっかかりは一人の営業さんだけど、ひとたび契約が成立すると、その後の対応はほとんどの場合、複数名のチームで対応されます。
ただし、チームと言っても、こちらからはチーム員が何名で、誰と誰と誰がメンバーなのか、個人名はわかりません。
豈図らんや、問い合わせをしてもちっとも回答が返ってきません。難題であればあるほど返ってきません。しびれを切らして最初に対応した営業さんに電話すると「僕にメールいただければ、必ずすぐに対応しますから」と言うけど、こちらもレスポンスはいまいち。
ずいぶん前から、ビジネスではeメールに必ずチーム員や上司のC.C.が入っているのが普通になったけれど、あれはこうした状況のハシリだったんだなと思います。部員、課員のメールを全部チェックしていたら、上司はまったく仕事にならないだろうから、実際はチェックしていませんよね。
返信を寄越さなくても許される人たち
ところで、プライベートの人間関係のコミュニケーションをすると、その相手がどのような社会的な立場で生きているかがよくわかります。先生と言われる職業はたくさんありますが、そうした職業で働く人の多くが、メールやライン、FBなどにレスをしたり、自らコミュニケーションをとることは少ないように思います。大企業で働く人にも多い(って、あくまで統計的にという話ですよ)。そうした「川上」に暮らしていると、そのような対応をしていてもストレスが与えられないので、それが当たり前になるのだろうと推測しています。
川上にいきたい
転職の動機としてよく聞く言葉で、たぶんコンピュータ情報システム関係の仕事の世界で言われ始めたと思うけれど、大手から下請け、下請けと仕事が流れていく業界では、川下で働く者は川上から流れてくる無理難題に疲弊しているのだろうと思います。一方的に仕様書が送られてきて、問題点をみつけるのは下請け側の仕事で、その問題を川上に伝えても回答さえ寄越さない・・・みたいな。
この状況は情報システム業界だけでなく、建設や広告業界でも昔から有る構図だから、ストレスの海は際限なく深く広がっているに違いありません。川上に憧れてやまないこと、想像に難くないですね。
さて「マネージメント」
日本語にすると「何とかする」。この何とかする人がいるから、あらゆる仕事がなんとか回っているのだけれど、長い川に、なんとかする人がひとりしかいないなら、その川から獲れる生産量はたかが知れているでしょう。みなが川上志向で「何とかするのは下のやつ」と考えているのなら、日本のGDPも平均給料も伸びないはずですよね。
コミュニケーションのストレスを減らしたいという願い
それほどこの世の中は、ストレスが多い。ストレスの源は人と人のコミュニケーション。コミュニケーションは面倒臭いし、難しい。ひとつ間違えるとストレスを増幅するだけだから、できれば避けて通りたいのがコミュニケーション。
だから川上に行きたいと願う。一方的に投げつけても文句を言われないから。
みなで満遍なく働くしかないね。
ちゃんとコミュニケーションしよう、誰もが社会に生きる人間なんだから。
みなでストレスを公平に分担する。
そうすれば日本の物価も給料もGDPも上がるに違いない。
ちなみ映像制作という仕事は、プロデューサーやディレクターが川上2番目(最上流はクライアント、時に更に代理店が間に入る)で「何とかする」仕事をしています。ですから、この業界もプロデューサーやディレクターがボトルネックになって、総生産量には限界があるのが現実です。労働生産性が低い産業の典型です。
ところで、この業界にも時々川上に行きたいと一般企業(広告を発注する側)に転職する人がいます。こういう人の仕事は請けない方がよさそうです。
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