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Tomizo Jinno

メディアリテラシーを育てる映像制作経験

匿名という名の暴力

不幸な女子プロレスラーの事件をきっかけに、政界がSNSに書き込まれる「誹謗中傷」に対する対策の必要性を、政治課題に上げてきました。

言うまでもなく、COVID-19に対する緊急事態宣言下の日本社会のみならず、世界でネットを通じたデマや個人攻撃、政権攻撃が人心を惑わす「負の連鎖」を招き、社会の不安化を煽っている面を無視できないという背景もあるものと思います。


拡大するメディアリテラシーの範囲

かつてメディアリテラシーとは、情報を読み解く力とか、報道を批判的な面からも読める力のことを言っていたけれども、インターネットのSNSメディアを通じて誰もが情報発信、あるいは情報伝播に加担できる今は、情報を発信する立場でのリテラシー意識の保持が、情報発信、さらにはネットに参加する者すべての基本的な能力条件になるべきだと、強く感じます。


フェイクは否定しても拡がっていく

少し前の報道で、フェイクニュースに対する「フェイクです」という書き込み自体が、そのフェイクのさらなる拡散に加担していたことを報じられました。今のSNSの仕組みでは例え「シェア」しなくても、「いいね」も「悲しいね」も「酷いね」もそのフェイクニュースの拡散に加担してしまうからです。


「スルースキル」ってなに?

女子プロレスラーは「中傷を受けるのもタレントなんだから有名税」だとか、政治家は人の上に立つのだから「批判をすることは重要だ」とか言われますが、どちらにせよ、それは「事実」に対して行うべき行動であって、事実を粉飾したり、事実でないことを見出しにして記事をアップし「論議」することに、何のメリットもありません。それどころか、内容によっては犯罪行為です。


知識や技能を悪用しないで欲しい

映像をつくる人間、メディアで広告を扱う人間であれば、その職業経験からサイバー空間での情報伝達の仕組みや罠は熟知しているはずです。まさにメディアの「仕組み」「罠」を利用することで、効果的にメッセージすること、そればかり日夜考えているわけですから。

ところが昨今では、メディアに生きる職業人自身が、メディア世界観について未熟なまま情報を垂れ流ししている傾向が散見されます。


謝って済む問題ではありません

フェイクニュースは相手が誰であれどんな場合も「悪」です。例え政治家であっても同じです。フェイク情報の創作、拡散は対象となった人だけでなく、直接間接関係なくすべての人を欺き傷つけます。人間として最低のズル行為です。

フェイクニュースには一切反応しない、それが大原則です。


映像が作られる工程を知ることがリテラシーを育てる

映像制作経験は、情報生成の過程への深い理解、批判的思考力の育成、表現力とコミュニケーション能力の向上、技術的な知識とスキルの習得、そしてメディアリテラシーの重要性の認識など、多岐にわたる能力を養うことができます。これらの能力は、現代社会において、情報過多の時代を生き抜くために不可欠なものです。

映像が作られる工程を知ることがリテラシーを育てる
謝って済む問題ではありません

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