日本経済新聞が「「沖縄独立」煽る偽投稿拡散」(有料記事)というタイトルで、中国系の情報工作アカウントが偽情報の動画を拡散しているというニュースを掲載しています。フェイク動画は興味本位で視聴するだけで拡散に加担してしまうため、あえて探しませんが、
生成A.I.による偽画像を使っているということではなく、現在の国際情勢としての一般認識とは異なる見解を、沖縄出身の日本の有名タレントを引き合いに出して説得を試みたり、動画の中に無関係なデモ行進映像をインサートしているということです。これは映像編集技法の「モンタージュ」を利用していることが推測できます。
人間というのは、たとえ偽ものとわかっていても、いちど目にしてしまうと、その印象はしばらくは消えないもので、どうしても認識に影響を与えてしまいます。私たち映像制作者はそういう意味で、ものすごく危険な道具を手にしていることを再認識します。
モンタージュという方法
私が初めて「モンタージュ」という言葉を聞いたのは、むちゃくちゃ古い話で恐縮ですが「3億円事件」です。今では知らない人の方が多いかもしれませんが、白昼堂々の強盗劇として当時、大変な衝撃を与えた事件です。その時の捜査を伝えるニュースで度々登場した言葉が「モンタージュ写真」。つまり似顔絵です。新聞やテレビニュースに掲載されたその写真は「絵」というよりは「写真」のようにに見えたので「警察の技術ってすごいなあ」と思ったものです。あれ以来ほとんど聞かない「モンタージュ写真」ですが、大人になって映像業界で働き始めて、再び耳にすることになりました。
捜査用のモンタージュ写真とは
捜査用のモンタージュ写真は、目撃者の証言を基に容疑者の顔を再現した画像です。
熟練した捜査官や画像専門家が目撃者にインタビューを行い、容疑者の特徴を詳細に聞き出します。この際、誘導的な質問を避け、目撃者の自然な記憶を引き出すことが重要です。次に、専用のソフトウェアを使用して、目撃者の証言に基づいて顔のパーツ(目、鼻、口、耳、髪型など)を選択し組み合わせていきます。このプロセスでは、目撃者と対話しながら細かな調整を行い、より正確な再現を目指します。完成した画像は目撃者に確認してもらい、必要に応じて修正を加えます。最後に、複数の目撃者がいる場合は、それぞれの証言を統合して一つの画像にまとめることもあります。このようにして作成されたモンタージュ写真は、捜査や公開捜査に活用されますが、あくまで参考資料であり、その限界も認識されています。(by Claude)
編集技法におけるモンタージュ
モンタージュとは、複数の異なるショットを組み合わせて新しい意味や感情を生み出す編集技法です。
ソビエトの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインによって1920年代に理論化されたと言いますが、現在行われている編集技法の大半はこのモンタージュに分類されるため、私は彼がやらなくても誰かがやっただろうと思います。
モンタージュの目的
①物語の進行を加速させたり時間の経過を示す
②異なるショットを組み合わせて抽象的な概念や感情を表現する
③複数の要素を組み合わせて視聴者に特定の反応を引き起こす
視聴者の連想を利用して意味を生み出す手法
具体的な技法については稿を他に譲りますが、ひらたく言うと「視聴者の連想を利用して意味を生み出す手法」です。ですから、連続するショット間に関係性や類似性がある場合でも、無い場合でも、視聴者がそれらを連続的に視聴すると、ある一定の認識と感情を引き起こすことを、制作者が狙って行うものです。
したがって以下のような問題を孕んでいます。
①必ずしも客観的な現実を反映しない可能性があります。
②視聴者の感情を操作し、事実とは異なる印象を与える可能性があります。
③ショットを元の文脈から切り離すことで、誤解を招く可能性があります。
④複数の要素を組み合わせて新たな「現実」を構築することがあります。
⑤特定の見方を強調することで、視聴者の既存の信念を強化する可能性があります。
⑥時系列を操作することで、事象の因果関係を歪める可能性があります。
⑦視聴者の経験値や文化背景によって、受け取り方が違う可能性があります。
事実の断片を再構成して新たな「現実」を作り出す
モンタージュは現実の断片を再構成して新たな「現実」を作り出すプロセスであり、その過程で歪みや誤解が生じる可能性があります。映像モンタージュは芸術的表現や説得力のある物語作りに有効ですが、ドキュメンタリーなどでは倫理的な配慮が必要です。
モンタージュ写真の作成工程を想像すればわかる通り、モンタージュはあくまで「再構築」された画像です。捜査用のモンタージュ写真が目撃者の記憶に頼っている危うさと同様に、映像のモンタージュは制作者の意思と良心に依存していることを忘れてはいけません。
上の画像の3コマを見てあなたならどんなナレーションを想像しますか?
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