多国籍になった日本・名古屋で久々の中国語
名古屋の街も、歩けば英語だけでなく中国語、韓国語の案内看板が目につくし、地下鉄のアナウンスも数カ国後が聞こえてくる。
だが、企業映像の外国語版制作と言えば、むしろ昔のほうが多かったように思う。たぶんそれは、最近の映像が短尺になり、しかもナレーションなしという場合も多いからではないかと思う。そんな中、久しぶりに中国語ナレーション、中国語字幕の映像を作った。
なぜか垢抜ける映像:言語とデザインの意外な関係
海外ドラマや映画を観ていると、日本語のコンテンツとはどこか違う、垢抜けた印象を受けることがあります。それは一体なぜなのでしょうか。
その理由の一つは、言語の違いにあると考えられます。日本語のコンテンツでは、ナレーションやテロップが視聴者に情報を伝達する重要な役割を担っています。しかし、外国語のコンテンツでは、視聴者が言語を理解できないため、これらの要素はあくまで映像デザインの一部として機能します。つまり、言語が理解できないことで、文字が持つ「意味」という重みが軽減され、デザイン要素としての側面が強調されるのです。
例えば、日本語の字幕が画面に表示されると、どうしても視線は文字に集中してしまい、映像全体の美観を損ねてしまうことがあります。一方、外国語のテロップは、デザインの一部として視覚的に楽しめる要素となります。これは、意味が分からないことで、文字が単なる形や色として認識されるためです。
中国語のデザイン
また、近年では、簡体字のデザイン性の高まりも注目すべき点です。従来、漢字やひらがな、カタカナは、デザイン要素としてはあまり重視されていませんでした。しかし、グローバル化が進み、中国の経済力が増大するにつれて、簡体字のデザインも洗練されてきました。その結果、簡体字はもはや単なる文字ではなく、視覚的に美しい要素として認識されるようになっています。
この現象は、世界の勢力図の変化と無関係ではありません。かつては、西洋の文化が世界を席巻し、その価値観が普遍的なものとされていました。しかし、近年では、アジアをはじめとする非西洋諸国の文化が注目を集め、多様な価値観が共存する時代となりました。この変化は、デザインの世界にも大きな影響を与え、従来の価値観にとらわれない新たな表現が求められるようになったのです。
つまり、映像が垢抜けて見えるかどうかは、言語や文字のデザインだけでなく、その背後にある文化や社会的な背景も深く関わっていると言えるでしょう。
久しぶりに中国語ナレーション録音をして、徒然に思いました。
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