成立する仕事は少ない
お仕事紹介会社から「この案件やりませんか?」みたいな紹介(照会)があるのだけれど、その9割が仕事として成立しない打診ばかりです。
ほとんどは、予算が過少で普通のプロダクションでは受けられません。
中には、一定の予算は確保しているけれど、映像への期待がはるかに過大で、制作プロセスを開始したとしても途中で頓挫する可能性が高いものもよくあります。ビジネスを映像を使って社会に発信しようと考え始めると、どうしても夢が膨らんで、時には誇大妄想の領域に達してしまうこともあるようです。
一方で、企画が曖昧で「映像をつくればなんとかなるだろう」と、具体的な内容をどなたも考えていない場合も、多くあります。わたしたちBtoB映像制作プロデューサーが「実現する可能性が高い案件」を、どう見分けているか教えちゃいます。
1.目的が明確になっているか?
目的があいまいな事案は、打ち合わせの席で質問をしても答えが返ってこず、話が始まりません。
その会社が、その事案をまだ真剣に考えていないことがわかります。
2.その会社はその目的に対して熱意があるか?
目的の理解とマネージメントができる人材を実際に投入して、必要な予算を投入する決断ができているかは、オリエンテーションの席でご担当者が明確なお話をされるかどうかで判断ができます。
3.その目的は実現可能か?
事実と反すること、途方もないことは実現不可能です。
YouTubeで大ブレークすることを前提とした映像によるプロモーション計画は、相応のマーケティングプラン(予算)との相乗効果があって初めて「企画」となります。
4.その企業はカタチのない映像の価値を正しく判断して、決断していける組織かどうか?
前例踏襲、過度な合議制を敷く企業体質は、カタチのないものを評価できないので、企画がまとまらず、制作をスタートできません。あるいはスタートできても、途中で目的からずれていきます。
BtoB映像プロデューサーは、このように創作に必要なリソースと条件が何であり、それがどの程度揃っているか、この案件は実現可能なのかをチェックしながら、不確定、未確定な部分があれば、それらについて具体的な提案をしながら穴を埋めていき、企画を成立させ、制作が実現するようリードしていきます。
これがBtoB映像プロデューサーの職務の核心です。
創作しない人は仕事がなくなる
能力とは「案」をつくること
方針を示すための情報収集、判断材料、方針案は誰が創っているか?能力とは、その「案を創る」ことができる頭脳のことだし、その実務力のことだ。
人を集めることは能力?
もちろん人の人望を集める力、指導をする力も能力ではあるが、創作できない人(アイデアがない人)に、がそうした力を持っていると言えるのか?と僕は思う。ただ「(組織の)上に上がっていく」ということは「能力」ではないだろう。
コミュニケーション力崇拝
どうも昨今、「コミュニケーション力」が組織人の必需品で、上昇志向には絶対条件。実務を実行するのは「下流の人」に任せておけばいい、という考えが蔓延してきているみたい。
こんなこと、よく考えなくてもわかると思うが、コミュニケーションとは「情報の流通」であって、それはどれだけキャッチボールしようが、遠くまで流れていこうが、どこまでいっても等価交換だ。財は生まれない。
財を生むのは創作の賜物
財を生むのは、「それを実行すると投資以上のリターンがある仕組み」の方である。
だから、その仕組みを創作した人の方が偉いに決まっているし、実務実行した人の方がどれだけご苦労さんなことか。
どうもきょうび創作できない人が威張っている。
実務やらないことが偉い証拠のように思っている人が多い。
「創作しない仕事」は、まっさきにA.I.に取って替わられると思うのだけれど、怖くないのかな?
モノづくりを革新していく人が必要
ただ「ものづくりが大事」という思想は、危ない。「前と同じようにつくる」「熟練して精度が上がる」。ここまでは、誰でも継続してその仕事を続けていけば、努力する人ならやがて手に入れる。企業を継続していく上で大事なことは、たとえ伝統的なものを作る仕事であっても、いつも新しさを取り入れ(創作して)、そのものの価値を革新していく人だ。
「製造業の中部」ではだめ
この呼び名に安心していてはいけない。アップルやボーイングが行う「創作」の下で、指図を受けてモノを作っているだけではジリ貧である。
こうしたことは映像制作業も同じ。前と同じことを繰り返していては明日はない。そう心を戒めて経営にあたっている。
日本の労働生産性は先進国最低
その証として日本人の平均給与や、物価はこの30年変わっていません。
インバウンドという掛け声が「大成功」にように見えていた、コロナ渦以前の外国人旅行客の多さは、単に「日本は物価が安いから」だったように思えます。
「月に30万円くらい」
どうも、日本国民の巷では、人ひとりへの報酬は月額30万円くらいが適正だという、漠然とした意識があるように思います。そして、この金銭感覚は30年前と変わっていないようにも感じます。大企業のサラリーマンなら、この何倍も貰っているはずなのに、自分以外の人にお金を払う段になると、なぜだか「30万円くらいが限度でしょう」と思ってしまう。
まずは、この妙な平民価値意識を払拭することが第1のように思います。
その上で、平均給与の底上げには何が有効か考えてみました。
やってはいけない施策
余力のある大企業に賃上げの先陣を切らせる、という施策は絶対にやめたほうがよいと思います。企業が賃上げで利益を失う時には、かならずコストカットも同時に行いますから、仕入れ先=中小企業での賃上げ余力が減るだけでなく、むしろ賃下げ圧力になるからです。日本人の大半が働く中小企業での賃上げが行われない限り、日本全体の平均賃金が上がることはありません。
行わなければならない施策①
大企業が過大な社内留保に突き進む株価最優先という目標を改めさせ、持続的社会的な価値の創造を価値基準とすることで、適正な外注費を支払い、中小企業の健全で持続的な経営を実現する。もちろんその余力を社員に還元し、安心して働ける環境整備に向かわせる。
行わなければならない施策②
属人的な業務に対する適正評価(能力給・高賃金化)と、非属人的業務のDX化による経営の効率化。つまり利益配分を「ほんとうに働いている人」に重くすることで、各々個々が「よく働くこと(生産性向上)」へのインセンティブとする。
行わなければならない施策③
法令・公的規制によって温存されている無用な組織や、旧態然とした業界の上位企業の解体、業務の流れの簡素化。働かない人への金銭資源を削除して、「ほんとうに働いている人」に配分する。
映像制作は属人的業務なのでもう無理?
なにも無いところから目に映る映像作品を生み出すディレクターの仕事は、完成するまでそのアイデアはディレクターの頭の中にしか無い(さらには自身の頭の中でも曖昧)ので、組織的業務による効率化の余地は、あまりありません。デジタル技術による効率化はすでに高度に進んでいます。しかも、インターネットによる営業活動の激化によって、業務単価は下げ圧力が掛かります。
労働生産性を向上するには、単価を上げるか、多売するしかありません。しかしひとりの頭でできることは限度があります。
さて、次の一手はどうすべきか!?
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