20年前の映像作品との邂逅
約20年前に制作した映像作品の原盤(マザーテープ)を探す機会が思いがけず訪れました。きっかけは、ある若い方が自社の過去の映像をインターネットで調査中、偶然にも弊社のウェブサイトに関連記事を発見したことでした。その方から「ぜひ映像を見てみたい」との熱心な連絡を受け取ったのです。近年では疎遠になってしまっていた中部地方を代表する大企業のお客様からの依頼でした。私自身、若かりし頃にこの企業の営業と制作の両方を担当していた経緯があり、携わったプロジェクトには一つ一つ思い出深いエピソードが詰まっています。連絡を受けた瞬間、まるで走馬灯のように、当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。
原盤テープの発見・浮かび上がる技術の変遷
幸いなことに、このお客様の主要な制作物のマザーテープは適切に保管されていることが分かっていたため、すぐに探索に着手。比較的容易に目的の原盤を見つけることができました。 スチール棚の奥深くに仕舞われていたその時代の原盤は、当然ながら磁気テープ形式でした。具体的には、BcamSPやD2といったフォーマットが使用されていました。現在では、Bcamを再生できるプレーヤーは老朽化が進んだ機器しか残っておらず、D2に至っては再生機器自体が社内に存在しません。古いVTR(ビデオテープレコーダー)にテープをセットして再生を試みるのは非常にリスクが高いのです。なぜなら、かなりの確率でテープがメカニズムに巻き込まれ、再生不能な状態になってしまう危険性があるからです。
テープから最新のデジタル動画ファイルへの変換プロセス
当該お客様のマザーテープをVTRにセットし、複数の機器を複雑に接続して、現在主流のデジタル動画ファイル形式に同時変換しながら再生を試みました。予想通り、再生されたテープの映像はノイズだらけでした。ただし、ここでテープメディアの経年劣化について書くつもりはありません。むしろ、この作業を通じて気づいた重要な点があったのです。
テープだけでなく、映像制作の概念そのものが変容
変化していたのは、テープに記録された磁気信号の品質だけではありませんでした。むしろ、映像作品の構成や演出手法が、現代とは全く異なるものであることに改めて気づかされたのです。その主要な理由の一つが、今更ながら明確になりました。
「解像度」が映像制作に与えた革命的影響
それは解像度の向上による映像制作手法の根本的な変化です。映像の世界では、解像度はそのまま情報量と言い換えることができます。 わずか10年ほど前まで、テレビ放送を含む一般的な映像の解像度は、ピクセル数で表すと640×480に過ぎませんでした。それが現在主流のフルハイビジョン(1,920×1,080)と比較すると、面積比で約7倍もの情報量の差があります。この劇的な変化は、映像表現の可能性を大きく広げました。
動画・映像の解像度と尺(時間)の密接な関係性
低解像度時代、我々映像制作者は被写体の詳細なディテール(表面の質感、輪郭の明確さ、細かな動きなど)の表現不足を補うため、カメラワークに工夫を凝らしました。被写体に寄ったり引いたり、縦横に動いて多角的に捉え、それらのショットを編集で時系列につなぐことで、ようやく高精細映像に匹敵する情報量を伝えることができたのです。 つまり、現在ならフルハイビジョンで10秒程度で表現できる被写体の情報量を、過去の低解像度時代には数倍の時間をかけて表現する必要があったのです。 さらに、画像だけでは伝えきれない情報や感情表現を補完するため、現代の基準では過剰とも思えるほど詳細なナレーション(解説)が付けられていました。
情報量保存の法則?
面積あたりのピクセル数でみるとNTSC方式(640×480インターレース)がフルハイビジョンの約1/7しかないという事実を踏まえると、かつては15分程度が主流だったVP(ビデオパッケージ・ビジネス映像・企業映像)の尺が、最近のウェブ動画では概ね2、3分程度に短縮されている傾向と、無関係ではないように思えます。
もちろん、過去と現在の企業映像における構成手法や尺の変化は、こうした技術的な側面だけが理由ではありません。時代のトレンド、映像文化の変遷、社会の進化なども大きな要因として挙げられます。また、いくら高精細の画像であっても、人間の認知能力には限界があり、画面のすみずみまで認識するには相応の時間が必要です。
映像技術の高精細化は、私たちに新たな表現の可能性をもたらす一方で、かつての映像制作者たちが培ってきた独自の構成技術や表現技法の一部が失われつつあることも事実です。技術の進歩と共に、私たち映像制作者も常に新しい表現方法を模索し、過去の技術と新しい技術のバランスを取りながら、より効果的な映像制作を目指していく必要があるのではないでしょうか。
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