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放送業界の内輪ノリと丸投げ

Tomizo Jinno

今朝(2025年1月30日)の日本経済新聞朝刊に「フジ、「内輪のり」文化の功罪」(有料記事)という記事があり、概ねにおいて的を得た論説でした。



「内輪ノリ」文化の始まり


放送業界における「内輪ノリ」文化の始まりは、1970年代の深夜ラジオに遡ることができます。当時の深夜ラジオは、主な聴取者層が若い受験生であり、社会からの監視の目も比較的緩やかでした。そのため、出演者たちは際どい内輪話を繰り広げることで、聴取者を共犯関係に巻き込み、一体感を醸成しました。

その後、ラジオ番組では、それまで裏方であったディレクターやADが番組に登場するようになりました。これは、聴取者の放送業界や芸能界に対する好奇心に応えるものでした。同時期にテレビ番組でも、ドリフターズやコント55号、そして少し後にはとんねるずといった人気お笑いグループが、放送の舞台裏を曝け出すような演出を積極的に取り入れ始めました。

このような演出手法は、放送業界に対する憧憬を抱く若者たちを惹きつけました。そして、彼らはやがて放送業界に足を踏み入れることになります。私もその一人でした。しかし、放送業界に身を置くうちに、私はそこに暮らす人々の根拠のない優越感や「有名であることがいいこと」という価値観に嫌気がさし、オンエアに関わる仕事から距離を置くようになり、実社会と関わるプロモーションやマーケティングの映像制作に軸足を移しました。


TV show


素人参加型番組の登場


また、この頃には、女子大生に始まる素人参加型番組が登場しました。素人出演者はやがて女子高生になり、集団でステージに上がる少女たちへと変化していきました。このような華やかさに憧れて、多くの若者が放送業界に流れ込んだことは想像に難くありません。



「内輪ノリ」の現在


放送番組の常識を覆した「内輪ノリ」は、聴取者(視聴者)を共犯関係に招き入れることで、社会に解き放たれました。しかし、放送人は今もなお、視聴者は放送業界や芸能界の裏側を見たがるものだという先入観を持っています。このことは、放送業界人がいまだに自分たちを「こちら側の人間」として、皆の憧れの存在であると思い続けていることの証左と言えるでしょう。

しかし、現代の「内輪」は、かつてとは本質的に異なったものになっています。現在、放送番組の大半は外部の制作会社によって制作されています。制作現場は外注先に「丸投げ」し、自身は指図するだけという立場の人が大半を占めているのです。

このような状況は、放送業界に限らず、自動車メーカーや情報システム会社など、多重下請け構造を持つ業界全体に見られる現象です。高学歴でありながら実質的な知識、技術、経験を持たない人が川上にいて高額なサラリーを得、実際に技術を持つ川下を低賃金で操っているという構図は、社会全体の問題として認識する必要があります。



社会全体の責任


番組コンテンツの制作方法に限らず、社会の仕組みを学ぶためには、自分自身で一通りのプロセスを実戦で経験することが不可欠です。実戦経験を持たない人が外の広い社会に直接対面すれば、その非常識さが浮き彫りになるのは当然のことと言えるでしょう。

「内輪ノリは外から見れば非常識」であることを当人たちに知らせないのは、川下に生きる者の処世術ではありますが、そのような状況を正せないのは、その構造を利用する人も多いという社会全体の責任でもあります。



最後に


「内輪ノリ」と「丸投げ」

今、日本社会全体に通じる構造的な問題ではないでしょうか。

日本のGDPが増加しない問題の根源がここにあるような気がします。

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