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Tomizo Jinno

日本文化における広報活動

広報なんてなくてもいい!?


集団や組織には、広報されることを嫌う人が必ず存在します。旧態然とした文化の企業や団体に多く、情報を囲い込むことが保身となる役職の人たちです。ガバナンスやコンプライアンスが脆弱な組織や人にとっては、広報=セキュリティホール以外の何物でもありません。彼らにとって広報は保身を脅かす落とし穴です。

 


広報の仕事は社会との対話


アナウンス・・・事業活動や商品に関する告知

インフォメーション・・・情報提供、広告

コミュニケーション・・・顧客管理、クレーム対応、リスクマネージメント、広告

レポート・・・IR、規制当局に対する報告、ステークホルダーへの情報開示

レコード・・・記録、保存

 


とっても面倒くさいから嫌われる


これらをきちんとやろうとすると、全社各部署が100%機能していて、それぞれが事業や経過を明文化して共有、対外的に打ち出すための企業方針を関連部署と整合させながら、必要な対象に過不足なく公正かつ公平に情報公開、社会と対話していかなければなりません。

おわかりになると思いますが、広報がちゃんとしていると、ちゃんと働いていない部署が明白になってきます。だから広報担当者は結構嫌われます。


日本文化における広報活動
男は黙って・・・

男は黙ってサッポロビール


これは昔の広告コピーですが、阿吽の呼吸とか男は黙ってとか・・・。

古来からかどうかは僕は知りませんが、日本では「不言実行」を美徳する生き方が尊ばれてきました。だからなのか、とかく自分の口で自分の事をアピールすると「嘘くさい」「いんちきくさい」と、今でも言われる傾向があります。

翻って、広報という仕事をする人間は「チャラい」とか「軽薄」という先入観も持たれているようです。実際、広報担当というとすぐにテレビや雑誌などのメディアやメディアに登場する人との人間関係をひけらかす人も多いことは事実です。

 


良い商品さえつくっていればなんて昔のこと


広報活動に非協力的な人たちは同音異口に、日本文化を盾に「よい商品を作ってさえいれば売れる」「よいことをやっていれば認めてもらえる」なんて言います。

これは断言できます。

いくら良いものでも、知らないものは買えません。いくらよい活動でも 社会に働きかける組織である以上、内緒でやっていては意味がありません。今の時代、たいして良くないものをすごく良いもののように言う輩が蔓延しています。そんな中でほんとうによい商品や活動を社会に支持してもらおうと思うならば、こちらも広報するしかありません。

 


自慢は控えめに


ただし日本文化においては「自作自演」は適度にしておかないと、それこそ「よいものに見えない」と思われます。

だから日本における広報の極意は「自慢」ではなく「他慢」です。

「自分で言っちゃーおしまいよ」なのです。

その匙加減「ひねり」をコントロールするのが広報担当者の極意です。

 


リスクマネージメントに真髄あり


そして、もうひとつ大事こと。

それは広報活動によって組織が社会と対話を継続することで、万が一の不祥事や事故に対するイクスキューズ、リスク管理をするための、組織と社会とのパイプが形成されることです。

このパイプを持たない組織は、マスコミやソーシャルネットワーク社会の餌食となり炎上するしかありません。

 

「黙っていることは無いと同じ」「黙っていることは認めたと同じ」なのです。

社会的に存在する組織にとって、広報活動は必須です。

広報しない組織は無いのと同じです。

広報を持たない組織は無防備です。 



さて、今は映像の時代。


悪意はすぐに蔓延しますが、その火をを消すのもまた映像の仕事かも知れません。映像を制御するスキルは広報を制御するスキルと、とても似ているのです。 

 

 


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