1997年
この年はトヨタ自動車のプリウスが発売になった年。
発売を前にして、そのメカニズムを説明するための映像を作りたいと要請され、豊田市の技術本部に話を聞きに行った記憶がある。
当時はまだハイブリッドという一般名詞ではなく、Toyota Hybrid System 略してTHSと呼んでいて、ガソリンエンジンと電気モーターの「いいとこどり」がキャッチフレーズだった。
技術の核である「回生ブレーキ」や「遊星ギヤ」の仕組みを根掘り葉掘り尋ねた相手は、たしかチーフエンジニアの方だったはずだから、今考えてみればあれは内山田さんだったのだろうか。
決してスタイリッシュとは言えない車形ではあったが、プリウスは売れまくり、ハイブリッドシステムは、あれよあれよという間に一般化して今に至るわけだ。
一方、映像業界は
2000年代に入ると、映像機器はどんどん高度化、低価格化し、業界は変質と淘汰の時代に。映像製作技術だけでなく、ビジネスをコミュニケーションする方法も、ほとんどがコンピュータ技術(IT)に席巻され、同時に通信の高速化が映像コンテンツの価値をどんどん低下させてしまった。
代書屋という仕事がほんとうにあるのか知らないが
昔し放送していたNHKの連続テレビドラマに、題材が「代書屋」という番組があった。
(「ツバキ文具店」主演 多部未華子)
代書屋は頼んできた人に詳細に話を聞くのはあたりまえだが、渡したい相手のことも可能な限り把握しようと、様々な場面で対象をつぶさに観察する。時にはお客(代書を頼んだ人)の言葉の裏側にも気づく。
そして、手紙を書く時は便箋の選択にはじまり、ペンや封筒、その表装にまで心を配り、お客の気持ちが相手方に伝わるよう、「自分の心を使って書く」のだ。
「自分の心を使って書く」
というのはドラマ中のセリフだったのだが、この言葉は僕の心を突き、ちょっと胸が詰まった。僕はお客さんのために映像をつくるとき、その企画を考え、シナリオを書き、スタッフを使って形にしていく過程は、まさにこの「心を使っている」のだと思う。
映像の出来不出来、お客さんや視聴者の反応に、僕らはいちいち心を痛めたり、わくわくさせたりしている。これはまさに心を使っている証拠なのだと思う。
細々とではあってもこうして映像制作業をやってこられたのは、お客さんの入れ替わりはあるものの、その時その時で一生懸命な僕の心を受け入れてくれた人がいたからなのだと思う。
まだしばらくは、映像という便箋を使った代書屋を続けていくことにしよう。
代書屋とは
読み書きができない人々や、複雑な書類の作成が難しい人々のために、文字を書いたり、書類を作成する仕事を請け負っていた職業です。
代書屋の仕事内容の具体例
書類の作成: 契約書、手紙、請願書など、様々な種類の書類の作成を代行しました。特に、法的な知識が必要な書類の作成は、代書屋の得意分野でした。
読み書きの代行: 文字を読んだり書いたりできない人々のために、手紙の読み書きや書類への署名などを代行しました。
相談相手: 法律に関する相談や、行政手続きに関する相談など、様々な相談に乗っていました。
代書屋が生まれた背景と役割の変化
識字率の低さ: 特に江戸時代以前は、一般庶民の識字率が低く、自分では書類を作成することが困難な人が多くいました。
寺子屋との関係: 寺子屋は、読み書きを教える場所として発展しましたが、複雑な書類の作成や、専門的な知識が必要な文書の作成は、寺子屋の範囲を超えていました。そこで、代書屋がその需要に応えたのです。
社会の変化: 社会が複雑化し、法制度が整備されるにつれて、書類の作成はますます専門的な知識を必要とするものとなりました。代書屋は、その専門性によって人々の生活を支えていました。
代書屋が衰退した理由
教育の普及: 教育の普及により、国民の識字率が向上し、自分で書類を作成できる人が増えました。
行政書士の制度化: 行政書士法の制定により、代書屋の業務は行政書士の業務に統合され、代書屋という職業は次第に姿を消していきました。
代書屋は、文字文化の発展において重要な役割を果たした職業であり、現代の行政書士のルーツと言えるでしょう。読み書きができない人々にとって、代書屋はなくてはならない存在でした。しかし、社会の変化とともにその役割は変化し、現在は行政書士という形でその機能が引き継がれています。
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