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Tomizo Jinno

映像と精神論

僕は映像づくりに限らず、人の所業のあり方を精神論で云々することは、ほとんど意味がないと思っています。

 

具体的に言ってみてほしい

例えば組織で指導的な立場にあるリーダーが、部下や子供達に「死ぬ気で頑張れ」とか「要は気合いだ」とか、そういう言葉だけで人を鼓舞していたら、その人は指導力のない人と思います。どこをどう直せ、とか、こういう方法でやってみろ、とか具体的な方法を理論的に伝えられないのですから、そのリーダーは自分自身がそのやり方を知らないということになります。

昔はそれでもリーダー足り得た場合もあることは僕も知っています。

でも昔と今は時代背景が違います。

 

映像、演劇の世界でも

これに類することが、昔ながらの映画やテレビドラマ、舞台演劇などの制作現場では、いまだに続けられているようです。

「そこもういちど!」とか「頭を冷やせ」とか「一晩よく考えろ」とか。

そんな言葉を発する監督の様子を見ると「コラ!何がNGなのか言ってみろ!」と言いたくなります。言葉にならないけど「なにか違う」のなら、監督自身が何が良いのか具体的に頭に無いということですよね。

「俺は分かってるんだが、敢えて考えさせているんだ」と!?

これはおおかた嘘です。

 

これらは日本の組織や風土に根強く残る「精神論」の一種と思います。

 

B2B映像制作の現場の精神論

さて、僕は若いクリエーターと仕事をする機会がどんどん増えてきて、もうあからさまに精神論が通用しないことを実感しています。僕だって、よくわかんないけどもっと良くしたい、という時につい口をついてしまうことはあります。

 

例えばいまの時代、「(編集について)全体的にもう少し精度を上げて」なんて言っても、若いディレクターは絶対に何もしてくれません。

具体的に「3分45秒の切り返しのカット、頭5フレーム切って」

と言わないとだめです。

 

正論

なぜだめなのか。

それはクリエーター君にしてみればあたりまえで「もう最高の精度に仕上げてある」からです。「精度」なんてものは人ぞれぞれの価値観に属するものであり、他人のそれなんてわからないのです。

正論です。

僕の注文は僕の意見、僕の価値観であり、僕はプロデューサーだから僕が言えば聞き入れてくれるけれど、それは「どこをどうして」と言わなければ「何をすればいいのかわからない」のです。

 

価値観の多様化と言われて四半世紀?

なんて言葉はもう何十年も前から言われていますが、精神論がまかり通ったのは、世間の価値観が一様だった時代。

やろうとしている事、目的や態度が一様ならば、あとは「頑張れ」と言ってボルテージを上げさせればよかったのです。

しかし、さきの衆院選挙での投票行動が示すように、若年層と高齢層の価値観が過去とは逆転してっしまっているような今。

「若者は夢を持つもの」とか「他人(ひと)も自分と同じ」なんて類型的、典型的価値観は大半の日本人の頭にはもう無いのです。

 

もっとリアルで具体的に。でも美しく。

時代は精神論ではなく、もっとリアルで具体的な言葉でのコミュニケーションを求めています。B2Bの映像、動画制作現場でも、美しさとリアルさ、そして具体性が両立している表現が求められていると、僕は感じます。

 

映像制作を精神論で語ることは愚かなのか?

 

 


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