尖った広告デザインはひとりの人のひらめきで始まる
制作プロセスはできるだけ少人数で管理したほうが、良いもの(メッセージが強い広告)ができあがります。
強調すると叩かれる
社会や市場に対してメッセージを出したい時、言葉にしろ映像にしろ、表現を工夫してそのメッセージを強調します。強調すなわち、その表現物全体のなかで突出したセンテンスとなるため、多くの人に意見を聞くと「ここは強すぎ」とか「これでは誤解される」とか、必ず批評を受けるはずです。どんな小さな社会でも複数人以上が集まれば、意見は必ず分かれます。特に映像から感じる感覚というのは、その人の生い立ちや境遇、経験、情報量に大きな影響を受けるため、さらにバラバラな意見が集まります。
意見を集約するとどうなるか
そんな大きく異なる意見を集めて、落とし所を見つけることは、交渉人(制作会社の窓口となる、企業の広告制作担当者)にとって非常に難しい作業です。勢いできるだけ平たい表現を探して、誰も文句を言わない、極めて常識的かつ目立たない文言、映像に落ち着かせます。
消えてしまうメッセージ
どこの会社もこういう傾向の中で仕事をしていたなら、同じ業種であればほとんど同じような表現に行き着きます。そして、こうしたことは映像広告に限らず、企業がコンセプトを定め開発する、あらゆる分野のプロダクツ全般に言えることです。
どのメーカーも似たようなデザイン
そうした業界は、いくつも目に入ります。たとえば自動車。新興のメーカーが、初期には個性的だったデザインやコンセプトが、大企業となり安定してくると、必ず平均的なものに向かっていきます。マーケティング調査の結果で決めている開発コンセプトと、企業に宿る組織心理の両輪で進行するこの傾向は、大企業の宿命かも知れません。
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