私は先日、老舗デパートの地下食品売り場で興味深い光景を目にした。かつては高級菓子のみを扱っていた有名ブランドの売場に、500円以下の「手軽なお菓子シリーズ」が並んでいたのである。パッケージは簡素で、往年の高級感からは程遠い。しかし、次々と手に取られていく。
この光景は、現代のブランド価値の変容を如実に物語っている。
かつて「ブランド」という言葉には、揺るぎない品質と誇り高きステータスが込められていた。それは日本語で言う「のれん」や「看板」に通じる概念だ。老舗料亭の暖簾には、代々受け継がれてきた技と誇りが宿る。大企業のロゴマークには、その企業が築き上げてきた信頼と実績が凝縮されている。
しかし、2024年の今、その概念は大きく変容しつつある。
ある大手家電メーカーの社内会議に同席する機会があった。そこで衝撃的な発言を耳にした。
「もはや完璧な製品を目指す時代ではない。必要十分な機能を備え、適正な価格で、素早く市場に投入する。それが我々の新しい戦略だ」
この発言は、現代のブランド戦略の本質を突いている。
従来のブランド価値は、「卓越した品質」と「洗練されたデザイン」の二本柱で支えられていた。しかし、テクノロジーの進化により、品質の差別化が困難になった。また、グローバル化とインターネットの普及により、デザインの模倣も容易になった。
そんな中で企業は、新たな戦略を模索せざるを得なくなった。それが「小さな成功の積み重ね」という方針だ。
例えば、ある自動車メーカーの映像制作。
かつては一本の企業PRビデオに数千万円の予算をかけ、ブランドイメージの向上に注力していた。しかし今や、50万円程度の予算で作られた動画が次々とネットに投入される。クオリティは必ずしも高くないが、「新機能の搭載」「価格の手頃さ」といった具体的な特徴を、素早く効果的に伝えている。
この変化は、消費者の意識の変化とも呼応している。
私の知人の言葉が印象的だ。 「正直、テレビの高級感は重要じゃない。必要な機能があって、値段が手頃なら、それでいい」
この感覚は、多くの現代人に共通するものだろう。
しかし、ここで重要な問いが浮かび上がる。
その「手頃な商品」が売れるのは、その企業がこれまで築き上げてきたブランド価値があってこそではないか?
先の食品売り場の例に戻ろう。500円のお菓子が飛ぶように売れるのは、その企業が長年培ってきた品質への信頼があるからだ。無名メーカーの同価格帯の商品では、同じ売上は望めないだろう。
ここに現代のジレンマがある。
企業は市場の要求に応えるため、短期的な利益を追求せざるを得ない。しかしその過程で、長年かけて築き上げてきたブランド価値を少しずつ失っていく。それは言わば、信頼という資本を切り崩しているようなものだ。
では、この状況をどう打開すべきか?
私は、「新しいブランド価値の創造」が鍵になると考える。
例えば、ある家具メーカーは興味深い取り組みを始めた。手頃な価格の商品ラインを展開しながら、その製造過程での環境負荷低減や、地域社会への貢献を積極的にアピールしている。つまり、「価格と品質のバランス」に「社会的責任」という新たな価値を加えているのだ。
また、テクノロジー企業の中には、「アップデート」という概念を逆手に取る例も見られる。完成度の高い製品を一度に投入するのではなく、基本機能を備えた製品を手頃な価格で提供し、ユーザーの声を聞きながら段階的に機能を追加していく。これにより、「ユーザーとの対話」という新しいブランド価値を生み出している。
結論として、現代のブランド戦略に求められるのは、「伝統的な価値」と「新しい価値」のバランスだろう。
短期的な利益を追求しながらも、長期的な信頼関係を築く。コストパフォーマンスを重視しながらも、企業としての独自性を保つ。そして何より、変化する時代の中で、新しいブランド価値の創造に挑戦し続ける。
それこそが、現代企業に求められる「新しいのれん」なのではないだろうか。
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