氏が「限りなく透明に近いブルー」で衝撃的なデビューをした(1976年)頃、僕は思春期まっただ中で、当時のマスコミが喧伝するエロチックな世界観に惹かれて、小遣いを叩いて単行本を買い読んだ記憶があります。その内容は退廃的というか、わけがわからないけれど、ドキドキしたことを覚えています。
その後、次々と刊行される氏の小説は30代になるまで全部読みました。ここからが本題。
彼の小説には、頻繁に「映像制作会社」が登場することに気づきませんか?
そこで、検索して得た情報が以下(A.I.検索なので嘘が入っていたらごめんなさい)。
『限りなく透明に近いブルー』
この作品では、主人公の人物周辺の一人が小規模な映像制作会社で働いています。
『コインロッカーズ・ベイビーズ』
この小説には、音楽プロモーションビデオを制作する会社が登場します。主にアンダーグラウンドな音楽シーンと連携活動をする小規模な制作会社です。
『ダンス・ダンス・ダンス』
この作品では、主人公がフリーランスのライターとして仕事をする中で、コマーシャルや企業PRビデオを制作する会社と関わります。
『それから』
この小説には、ドキュメンタリー映画を制作する小規模な会社が登場します。
『スプートニクの恋人』
この作品では、主人公の友達が働き、教育用ビデオや科学ドキュメンタリーをする制作会社が登場します。
(A.I.のコメント)
多くの場合、これらの映像制作会社は主流から外側にある分野で活動し、しばしば社会の隠れた側面や現代の若者文化を探求するための手段として機能しています。
映像制作会社はアンダーグラウンドに生息する
僕がこの(映像)業界に足を踏み入れたのが1985年。地方映像制作業界というのは、テレビ番組やCMという華やかそうな分野はあるものの、大半の仕事が一般の目には触れない、言うなればマイナーな業界でした(今もか)。当時はまだ映像とか動画ではなく「ビデオ」と呼ばれ、その響きはどこか怪しげな響きが含まれていた時代。まさにA.I.が言うように、村上龍氏はこの業界のインチキ臭さや怪しげな雰囲気をアンダーグラウンドなモチーフとして利用していたのだと思います。
当時読んでいて、彼の書く小説に現れる映像制作に関する会話や人物、表現は、いちいちリアルだったことも覚えています。「教育用ビデオや化学ドキュメンタリーを制作する会社」を登場させるなんて、なんとマニアックな!?自身もこの業界に足を踏み込んでいたのでは?と推察します。
ところで、先日書店で立ち読みで(すみません)「ユーチューバー」という最近の小説の冒頭を少し読みました。
映像制作会社からユーチューバーに代わっているところが、さすが村上龍氏です。
映像制作会社のイメージ、今はもうアングラではないのかな?
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