私が現在映像制作業界で活動するきっかけとなったのは、大学時代のアルバイト経験でした。具体的には「ミキサー」と「AD」(アシスタントディレクター)という二つの役割を担当していました。ある地方ラジオ局でのこのアルバイトでは、主調整室(通称マスター)に設置された調整卓に座り、フェーダー(音量調整用のツマミ)を操作する重要な任務を任されていました。この経験が、後の私のキャリアに大きな影響を与えることになったのです。
調整室:熟練の技が光る舞台裏
調整室での仕事はまさに職人技の見せ所でした。アナウンスブースで話すタレントのマイク以外に、音源として用意されていたのは、2台のターンテーブル(アナログレコード盤再生機)と4台のオープンリールテープレコーダー(再生専用機)でした。ミキサーである私の役割は、これらの機器を巧みに操作し完璧なタイミングで音を送り出すことでした。
例えば、レコードを使用する際はターンテーブルに載せアームを手で持ち上げ、盤面の溝に針を慎重に落としながら、放送する曲の開始位置を探します。見つかったらそこに針を載せ、ターンテーブルを約1/3回転戻してスタンバイボタンをONにします。この準備によりディレクターのキューが出るとすぐにフェーダーをUPし、音を送り出せる状態になります。フェーダーには「アッテネータースタートスイッチ」という仕掛けがあり、その信号がターンテーブルに送られることで、レコードの再生が開始されるのです。
オープンリールテープ(業界では"6mm"と呼ばれていました)も同様の手順で準備します。番組の合間に挿入されるCMやジングル(コーナーを区切る効果音や効果音楽)は、それぞれ別々のテープに録音されているため、4台のテープレコーダーに掛けて、手動で音源の開始位置を探り、これも約1/3回転戻して停止させておきます。
緊張感と達成感:生放送の醍醐味
これらの音源を番組の進行に合わせて正確なタイミングで送出することが求められました。1/10秒程度の遅れでも、ディレクターから厳しい視線(「ギョロ睨み」と呼んでいました)を浴びたものです。アルバイト仲間の間では、「今日は20秒でテープの掛け替えをした」とか「テープレコーダー6台を使って20本のテープ素材を掛け替えた」といった具合に、技術の向上を競い合っていました。
生放送ならではの緊張感は格別でした。音源を間違えたり、秒数を読み誤って時報と重なりそうになったりと、失敗の思い出は数え切れません。しかし、そのような緊張感と、無事に放送を終えた時の達成感は今でも鮮明に覚えています。これらの経験は、私の職業人生に大きな影響を与えました。
デジタル時代における職人技の重要性
その後、映像の時代が到来すると言われ、私は映像業界へと転身しました。37歳で独立してプロダクションを設立し、現在に至ります。B2B専門の映像制作会社として活動しているため、生放送の機会はなくなりましたが、映像に付ける音に関しては今でも強いこだわりを持っています。
デジタル技術の進歩により、かつてのような職人的な勘や技術に頼る部分は減少しました。しかし、その一方で、デジタル機器の精度や機能に過度に依存するあまり、視聴者や人間の感性に適した音声調整ができていないケースも見受けられます。例えば、音楽の挿入タイミングやフェードアウトの長さ、音量の変化などが機械的すぎて、そこに「表現」が欠けていると感じることがあります。
音と音の間合いは、その音の響きや韻によって微妙に心地よいリズムが生まれるものです。しかし、デジタル編集ではすべてを正確なタイミングで配置してしまう傾向があります。MAスタジオの若いオペレーターの中には、そのような機械的な操作こそが正しい技術だと思い込んでいる人もいるようです。
ナレーションとBGMの音量バランスについても、一度設定したらそのままにしてしまうケースをよく目にします。制作される映像の内容をよく理解し、音声にも細心の注意を払えば、このような無頓着な対応はできないはずなのですが。
音声トラックの重要性を再認識する
最近のショートムービーでは、ナレーションもSE(効果音)も使用せず、ただ1曲の音楽を大音量で流すだけ、という作品を多く目にします。しかし、映像には無限の可能性があります。そこに丁寧に音を重ね合わせていけば、より豊かで魅力的な表現が可能になるはずです。
デジタル時代だからこそ、人間の職人技や感性を大切にし、それらをデジタル技術と融合させることで、より質の高い映像作品を生み出せると信じています。音声トラックは、映像表現の重要な一部であり、その可能性を最大限に引き出すことが、私たち映像制作者の使命だと考えています。
今は音楽作りと同様に映像・動画の音の世界はコンピューターが支配しています。しかし、そこに人間ならではの「ゆらぎ」が織り混ざることで、気持ちが良いノリが生まれることを私たちは知っています。
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