テレビカメラを締め出したフジテレビの記者会見が招いたもの
フジテレビと中居正弘さんの不祥事件で、フジテレビが記者会見を行いながらテレビカメラの取材を禁止し、写真撮影時間も限定したというニュースが世間を賑わせました。この出来事について、私自身も「テレビ局が自らテレビカメラを拒否するとは…」と、思わず苦笑いしました。
なぜフジテレビは、このような判断をしたのでしょうか。

「映像は情報量が多い」
これは企業映像を制作する会社の営業マンが、しきりに使う営業トークです。文字や写真より断然情報量が多い動画でPRしましょう、というように。
フジテレビがテレビカメラを避けたのは、まさにこの「映像は情報量が多い」ことに由来します。
テレビカメラを締め出すということは、「映像で伝えられたらマズイ」という判断が働いたということになります。
なぜ映像での情報公開が危ないと考えたのか。それは「映像は切り取ったり、改変することが容易であり、悪意に行われたら酷い目に遭う」ということを、テレビマンだからこそ良く知っていたからに違いありません。プロディレクターやプロエディターの手に掛かれば、恣意的に切り取り編集することで、いかような目的の動画でも作成可能だと知っているからです。もともと映像は情報量が多いからこそ、そこから抜粋した情報でも十分なバリューを持ってしまうのです。
拙速な判断と世間の反応
想像するに、とにかく記者会見は早くしなくてはいけない、リスクマネージメントの常識ですから、そう考えたのでしょう。しかし、あまりに情報と理論武装が不足しているので、そんな記者会見を映像で拡散されたら堪らない、ならばテレビカメラは遠慮してもらうけれど、とにかく早期に記者会見を開催したことで一定の評価はもらえるだろう・・・。と考えたのかも知れません。しかし、視聴者?国民?はテレビ局がテレビカメラを締め出したという判断の裏に隠れた意図を見透かしてしまいました。「いつもは自分たちがズカズカとカメラを向けているのに・・・。」この反感を予想できなかったのは、この業界特有の驕りでしょう。
結局、世間はこの記者会見を拙速なものとしか捉えませんでした。では、じっくり下準備をしてから行えばよかったかと言えば、それも叩かれるでしょう。テレビカメラを入れていたらいたで、さらに酷い叩かれ方をしていた可能性を考えれば、たぶん最善の選択などなかったのかも知れません。
映像は事実をあぶり出す
しかし、私たち映像制作者は、長くこの仕事をしていて、映像は嘘をつかないことを知っています。いくらドラマチックに演出しようとドキュメンタリーは事実以上の事実は伝えないし、悪意に編集された映像は、その作者の意図を白日に晒すことを。
私は企業PR映像であっても、事実と異なることを材料にしてはいけないと考えますが、たとえ嘘の事実を利用しても、視聴者は必ずそのことを察知すると思っています。
結局、事実はちゃんと伝わるのです。
たしかに一度目にした映像は、人々の目に焼き付いてしまうものですが、いちぶでも良識のある人に理解されるという希望は残ります。
民放テレビ局ですから、より多くの人に理解されたいことはわかります。
もちろんすべての人に伝わるわけではないけれど、テレビマンであれば、映像のほんとうの力を信じてほしいなあ、と思う事件です。
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