観客はテレビの前のあなた
思い起こすと、2008年の北京オリンピックだったか(定かではない)、開会式をテレビで見ているとセレモニー・アトラクションの進行の中に「VTR」が入ることに違和感を覚えた記憶があります。そのVTRは決して番組を放送しているテレビ局が挿入したものではなく、あきらかに式典演出のひとつのメインな「出し物」として作り込まれた映像であり、式典を盛り上げる重要な要素になっていました。
スタジアムの観客は観てるのか?
僕が違和感を覚えたのは、オリンピックスタジアム(開会式の会場)の観客はこの時、この映像を観ているのか?観ているならば、会場のどこに設置されているスクリーンなの?音声は聞こえているの?という疑問。想像するに、会場のどこかでは上映されているものの、その映像に気づかずにいる人も多いだろうと思いました。とすると、テレビの前の我々視聴者と、開会式会場にいる人たちとは同じ体験をしているわけではないことになります。まあ、そもそも無数のカメラを切り替えながら作られている映像と、その現場の1箇所に座っている人とが観ている世界が「同じ体験」をしているというのはあり得ないことなんですが。
オリンピック開会式映像は一元的に管理されている?
莫大な予算が動くオリンピックにとって放送利権は大半を占める収入なので、オリンピック委員会はこの権利を最大限活かすために、番組制作は自身で行い、その放送利権を各国、さまざまな放送団体に販売している。つまり、開会式のライブ映像は世界共通のソース(唯一なのか、複数タイプあるのかは僕は知らないが)を世界中の人々が視ることになります。
オフィシャル番組=開会式そのもの
今回のパリオリンピックは、ご承知のとおり選手団はセーヌ川を船でパレードし、河岸の随所でさまざまなパフォーマンス、大道芸(?)が繰り広げられるというオリンピック史上初の「街を舞台にした式典」。だから、今回の開会式典の一部始終を全部観たという人はおらず、「全体像」というものを把握することも難しく、果たして全体像を知っている人がいたのかもわからない。唯一言えるのが、オリンピック委員会が提供する映像ソースが、その一部始終を最も漏れ少なく捉えていたであろうということ。つまり番組自体が唯一の開会式だっと言えること。
VTR盛りだくさん
今回も開会式ライブ番組(どこまでライブだったかわからないけれど)にも、随所に手の込んだ演出映像が挿入されていました。僕は個人的にはライブ映像の中にVTR(ライブではなくてあらかじめ創作された映像)が入るのはなんだかLIVE感が失われる感じがして残念だし、何よりも現地にいる観客はこれを観ていないんだろうなあ・・・と余計な心配をしてしまいます。
それぞれの開会式
かつての開会式は観客、参加者、スタッフがすべてスタジアムに集って、目の前で行われるショーを皆で共通体験し、その体験をいかにリアルに伝えるかが開会式ライブ中継番組の役割でした。現代ではテレビ(モニター)画面を通して番組ディレクターが切り取り、VTR創作者が演出した世界、それこそが開会式になったと言えるかも知れません。
そういえば生でスポーツ観戦する人たちも、片手にスマホをもってライブ中継を観るのが当たり前の時代ですものね。
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