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「」に対する検索結果が431件見つかりました

  • カタチがないもの(映像)を売るということ

    「形ある商品」と「形のない商品」 どちらが売る側にとって楽なのか、という問いは、多くのビジネスパーソンが抱く問でしょう。形のある商品を扱う人からは、形のないサービスやコンテンツを売る私たちが羨ましいと言われる一方で、私たちは形のある商品の安定感に魅力を感じます。 形のある商品は、その実物がそこにあるため、客観的な評価が可能です。例えば、家具であれば、そのデザインや素材、機能性を目で見て、手で触れて判断することができます。しかし、映像コンテンツのような形のない商品は、人の主観や解釈によって評価が大きく左右されます。契約前の企画段階から、納品後の評価に至るまで、常に顧客とのコミュニケーションが不可欠であり、その意味で非常にデリケートな商材と言えるでしょう。 形あるものの悩み 一方で、形のある商品にも、様々な課題が存在します。例えば、耐久性やデザインの好みなど、顧客の評価は多様であり、万人に満足してもらうことは困難です。また、製品の品質に問題が生じた場合、交換や修理といった対応が必要になることもあります。 しかし、私たち映像制作者から見ると、これらの課題は、事前のコミュニケーションによってある程度回避できるもののように思えます。顧客のニーズをしっかりとヒアリングし、具体的な提案を行うことで、誤解やトラブルを未然に防ぐことができるからです。 形ないものを売る仕事の核心はコミュニケーション 形のない商品を扱う私たちの強みは、顧客とのコミュニケーション力にあります。形のある商品の場合、製品そのものが顧客とのコミュニケーションツールとなる側面がありますが、映像コンテンツの場合は、企画段階から納品後の評価に至るまで、常に顧客との対話が必要です。 顧客の頭の中に描かれている映像のイメージを正確に把握し、それを形にする。このプロセスこそが、私たち映像制作者の醍醐味であり、同時に大きな責任でもあります。顧客の期待を裏切ることなく、最高の映像作品を提供するためには、高いコミュニケーション能力と豊かな想像力が不可欠です。 形あるもの、形ないもの、どちらが優れているかという議論は、おそらく永遠のテーマでしょう。しかし重要なのは、それぞれの商材が持つ特徴を理解し、その特徴を活かしたビジネス戦略を立てることです。形のない映像コンテンツは、顧客との共創によって生まれる、まさに「創造の産物」と言えるでしょう。   カタチが無いものを売ってみたいと考えたあなた。 売ってみたいですか? けっこう心が磨り減りますヨ。

  • オープンデータインベスティゲーション:映像が語る新たな物語

    ネット上に無数に存在する画像や映像。それらは、撮影された場所や時間、そしてそこに何が起こったのかという貴重な情報を秘めています。近年、これらの情報から、事件の真相を解き明かしたり、社会問題の根源を探る試みが盛んに行われています。この手法を、"オープンデータインベスティゲーション"と呼ぶことを、先日NHKの番組で知りました。 映像分析の原点 番組を見て、私は自分の経験と重ね合わせずにはいられませんでした。友人から送られてくる一枚の写真を見て、それがどこで撮影されたものか推理する。そんなことを、私はこれまで何度も楽しんできたからです。映像制作の仕事柄、映像の中に隠された細かな情報を読み解くことに慣れていた私は、友人からの写真に写り込んだ建物の特徴や風景から、撮影場所を特定することができたものです。 高度な映像分析と有益性 しかし、番組で紹介されていたオープンデータインベスティゲーションは、私の個人的な楽しみとは全く異なるレベルのものです。高度な技術を用いて、膨大な量の画像データを分析し、そこから有益な情報を抽出する。それは、まるで探偵が証拠を積み重ねていくように、地道かつ緻密な作業を必要とする知的探求です。 番組を見て、私は改めて映像の持つ可能性に気づかされました。映像は、単なる記録媒体にとどまらず、事件の真相を暴いたり、社会問題の解決に貢献するツールとなり得るのです。例えば、ある事件の現場にたまたま居合わせた人が撮影した動画が、事件の真相解明に繋がるといったことは、もはや珍しいことではありません。 映像業界新分野? 映像制作業界は、近年大きな変革期を迎えています。AIの台頭や、動画配信サービスの普及など、業界を取り巻く環境は大きく変化しています。このような状況下で、オープンデータインベスティゲーションのような新たな分野への転身は、映像制作に関わる人々にとって一つの選択肢となるかもしれません。映像制作のスキルを活かして、社会に貢献できる。そんな仕事に魅力を感じている人は少なくないはずです。オープンデータインベスティゲーションは、映像制作の新たな可能性を開くだけでなく、社会全体の課題解決にも貢献できる、非常に意義のある仕事と言えるでしょう。

  • 中国語版の映像制作・動画制作

    多国籍になった日本・名古屋で久々の中国語 名古屋の街も、歩けば英語だけでなく中国語、韓国語の案内看板が目につくし、地下鉄のアナウンスも数カ国後が聞こえてくる。 だが、企業映像の外国語版制作と言えば、むしろ昔のほうが多かったように思う。たぶんそれは、最近の映像が短尺になり、しかもナレーションなしという場合も多いからではないかと思う。そんな中、久しぶりに中国語ナレーション、中国語字幕の映像を作った。   なぜか垢抜ける映像:言語とデザインの意外な関係 海外ドラマや映画を観ていると、日本語のコンテンツとはどこか違う、垢抜けた印象を受けることがあります。それは一体なぜなのでしょうか。 その理由の一つは、言語の違いにあると考えられます。日本語のコンテンツでは、ナレーションやテロップが視聴者に情報を伝達する重要な役割を担っています。しかし、外国語のコンテンツでは、視聴者が言語を理解できないため、これらの要素はあくまで映像デザインの一部として機能します。つまり、言語が理解できないことで、文字が持つ「意味」という重みが軽減され、デザイン要素としての側面が強調されるのです。 例えば、日本語の字幕が画面に表示されると、どうしても視線は文字に集中してしまい、映像全体の美観を損ねてしまうことがあります。一方、外国語のテロップは、デザインの一部として視覚的に楽しめる要素となります。これは、意味が分からないことで、文字が単なる形や色として認識されるためです。 中国語のデザイン また、近年では、簡体字のデザイン性の高まりも注目すべき点です。従来、漢字やひらがな、カタカナは、デザイン要素としてはあまり重視されていませんでした。しかし、グローバル化が進み、中国の経済力が増大するにつれて、簡体字のデザインも洗練されてきました。その結果、簡体字はもはや単なる文字ではなく、視覚的に美しい要素として認識されるようになっています。 この現象は、世界の勢力図の変化と無関係ではありません。かつては、西洋の文化が世界を席巻し、その価値観が普遍的なものとされていました。しかし、近年では、アジアをはじめとする非西洋諸国の文化が注目を集め、多様な価値観が共存する時代となりました。この変化は、デザインの世界にも大きな影響を与え、従来の価値観にとらわれない新たな表現が求められるようになったのです。 つまり、映像が垢抜けて見えるかどうかは、言語や文字のデザインだけでなく、その背後にある文化や社会的な背景も深く関わっていると言えるでしょう。   久しぶりに中国語ナレーション録音をして、徒然に思いました。

  • 自分視点が分断する社会と映像・動画制作の役割

    近年、社会全体が「自分視点」を重視する傾向にあると感じます。これは、個人の感情や価値観を尊重する一方で、多様な意見や価値観を軽視する風潮を生み出しています。特に、SNSなどを通じて個人の意見が容易に拡散されるようになったことで、この傾向はさらに加速しているように思われます。 窓枠で切り取る映像 私がこの「自分視点」という概念に関心を抱くのは、映像制作という仕事に携わっているからです。映像制作において、カメラは世界を切り取る窓のようなものです。そして、その窓枠をどのように設計し、どこに向けるかによって、観る人に全く異なる印象を与えることができます。つまり映像制作は、世界をある特定の視点から捉え、それを視聴者に伝えるという行為なのです。 映像が示す解釈 映像作品は単に現実を映し出すだけでなく、制作者の意図や価値観を反映したものです。例えば、ドキュメンタリー作品であっても、撮影者や編集者の視点によって、同じ出来事が全く異なる物語として描かれることがあります。これは、映像作品が単なる記録ではなく、一種の解釈であることを示しています。 視点をコントロールする力 映像制作者は、常に「視点」を意識しながら作品を作り上げています。そのため、長年映像制作に携わっていると、自然と様々な視点から物事を捉えることができるようになります。しかし、この能力は、時に周囲の人々から「ひねくれている」と思われることもあります。これは、多くの人が自分の視点こそが絶対的に正しいと考えている中で、異なる視点を持つ人が現れることに対する違和感からくるものかもしれません。 映像制作において、最も重要なのは、作品を通じて何を伝えたいのかという「企画意図」です。企画意図は、ターゲットとする視聴者層によって大きく変わります。つまり視点と企画意図は相似形と言えます。例えば、若者向けの広告であれば、若者視点で流行を取り入れた視覚的な表現が重視されるでしょう。一方、高齢者向けの広告であれば、高齢者視点で分かりやすく、安心感を与えるような表現が求められます。 誰かを傷つけていないか しかし、このようにターゲットに合わせた視点を選ぶことは、必ずしも全ての視聴者を満足させるわけではありません。むしろ、特定のグループにとっては不快に感じる可能性もあります。これは、人々の価値観や考え方が多様であるため、一つの視点から見た世界が、別の視点からは全く異なるものに見えるからです。 ビジネスの世界においては、映像制作は製品やサービスを効果的に宣伝するための重要なツールの一つです。そのため、映像制作者は、訴求効果を高めるためにターゲット層の心に響くような表現を選ぶ必要があります。同時に、特定のグループを排除したり、差別的な表現を用いたりしないように、細心の注意を払う必要があります。 視点が社会を分断する 近年、社会問題となっているのは、特定の思想や価値観に基づいた「自分視点」が、社会全体を分断しているということです。SNSなどを通じて、特定の意見を持つ人々が集まり、異なる意見を持つ人を攻撃するといった現象が頻繁に見られます。このような状況は、社会の安定を脅かすだけでなく、個人の自由な意見表明を阻害する可能性も孕んでいます。 社会を構成する一人ひとりが、自分の視点だけでなく、異なる視点を持つ人々の存在も尊重し、多様な意見を聞き入れる姿勢を持つことが重要です。そして社会全体として、客観的な事実を基に議論を進め、より公平で公正な社会を目指していくべきです。 多角的な視点を持つ者の役割 映像制作の現場で培われた「多角的な視点」という能力は、このような社会の実現に貢献できるのではないかと考えています。映像制作を通じて、私たちは世界を様々な角度から捉え、その多様性を表現することができます。そして、その経験は私たちが社会の中でより広い視野を持ち、多様な人々と共存していくための糧となるはずです。

  • 動画制作と映像制作

    動画制作という意味 予算が低く、制作の取り回し(マネージメント)が楽で、リスクが少ない映像制作、それが「動画制作」の本質のように捉えられています。   いまもワンマンプロダクション・YouTuberたちは、機材を駆使して斬新な視点やカッコイイ編集で「動画」を見せてくれますが、やはり単調さ、単純さは否めませんし、プロというには企画の幅が狭すぎます。しかし彼らが遠からずシナリオに興味を持ち、単調でシングルイシューな動画ではなく、短い中にも深さと味わいのある優秀な映像作品がゴマンと現れるのではないかと思います。   「動画編集下請けします!」 最近急に増えたのが、こうした売り込みメール。SNSのフィード広告には「動画編集を副業に」とか「動画編集マンが足りていません!」といった動画編集教室の広告が目につくので、たぶんそういった教室を卒業?した人たちだろうなと思っていました。あまりにたくさんメールが来るので、「いったいどこで編集マンが足りていないのだ?」と兼ねてよりの疑問がマックスに達し、先日、メールをくれたそのうちのひとりに電話して聞いてみました。 足りていない編集マンとは? Youtuberではもう稼げないと言われながらも、数多く番組をアップすることで稼ぎを上げるというのが、現在のYoutuber事情のようで、そのためには撮影(収録)こそ自分で行うけれど、編集は誰かに任せないと回っていかないのだそうだ。そこで、その編集だけを請け負うという稼業が成立しているそうだ。1作品、5分から10分以上の映像を1本編集して5,000とか10,000円だそうだ。だいたい1日で1本が限界だとも。今のYoutuberがYoutubeから受け取るお金は、昔に比べればスズメの涙だそうなので、どれだけ再生数が行っても、儲かるお金は知れているので、外注費に回せるお金もこの辺が限界なのだろうか? 1日の労働対価の最低許容値で料金は決まっている というのが実際なのでは、と推察。副業として休みの日にアルバイトしている・・・というスタンスであれば、まあいいか、といことでしょう。しかし、中にはこの仕事で食べていこうと考えている人も多いように見えます。いくらなんでも5,000円×30日をライフワークにしようとは考えてはいないだろうけれど・・・。 ステップアップの足がかりがない Youtuberが自分で撮って送ってくる素材を、指定されたところで繋いで(「ジャンプカット」という映像編集用語がここでは多用されているみたい)、指定されたところにテロップを入れて、音楽あてて、音量調整して・・・。この作業ははっきり言ってPCがある程度触れる人ならば、1日の講習でできるようになります。Youtuberと呼ばれる人たちのコンテンツは、大半が自身がカメラに向かってしゃべりまくるという構成だから、使う編集技術も限られている上に、ディレクターとしての役割は無し。肝心な演出の経験値が上がっていかない。つまりどれだけキャリアを重ねても、映像制作全体の技量が上がっていかない。下手をすればA.I.にとって代わられる可能性が高いのがこの辺の編集領域。もっと危ないのは、Youtubeが収益モデルを変えたら、あっさり消滅する職かも知れないこと。 ストレスが大きい上に成長しない 発注者となるYoutuberは編集マンにとってはディレクターだから、その指図は絶対。しかも万年同じ作業。そのストレスは相当のものに違いない。 彼らの夢は、ブレイクするYoutuberのパートナーとなって大儲けすることなのだそうだ。 うーん、他力本願だし、そもそも利益を分け合うほどの貢献というのは、企画、演出を分担して初めて認められるもんじゃないのかな!? 「僕らは映像制作はできないですから」 彼は電話口でつぶやきました。 Youtubeコンテンツレベルが「動画制作」で、ビジネス映像やテレビ番組、CMの制作は「映像制作」と呼んでいて、レベルが違うものだと認識しているそうだ。 これ「映像業界(←動画業界に対する業界)」の人たちも同様の意識を持っていて「俺たちは動画をつくっているんじゃない!映像をつくっているのだ!」とよく言います。動画と映像が異なるか、同じか、なんて業界外の人にはどうでもいいことだと思いますが、どうも同列に捉えられるのは許せないようです。

  • 映像会社がB2Bで請け負う仕事の種類<企業情報系>

    会社案内ビデオ いわゆる会社案内パンフレットの動画版で、企業概要全般に渡る情報を網羅した内容。少し前までは1本で20分以上の長さのものも多かったが、今ではWEB上に掲載することを前提として、項目ごとに細分化することが多い。    IRビデオ 企業の財務情報や事業状況をステークホルダー(主に株主)に開示するための動画。会社案内的な内容が半分、財務状況と事業計画に関する情報が半分といったところ。上場を控えて制作、公開する場合は、開示してはいけない情報もあるため、経営者や証券の専門家の指示・アドバイスが必至。    事業紹介ビデオ 企業が営む事業に限った情報をまとめた動画。事業展開が多事業に亘っている場合は、事業ごとに制作する場合が増えている。    施設紹介・案内ビデオ 企業が所有・運営する公開型施設や工場、展示施設などの概要や利用方法を案内する動画。資料館や展示館の展示映像も含めてもいいかも知れない。    社史ビデオ 周年の年に制作する会社の歴史をまとめた動画。社史(冊子)と同時に制作する場合が多い。創業者が存命の場合は、思い入れが深く、内容が盛りだくさんとなり30分以上の長尺となることも珍しくない。    リクルートビデオ 社員やスタッフの採用活動のための動画。最近では会社案内的な情報提供ではなく、実際に働く社員の様子や経営者の生の様子を伝える短尺の動画が主流。    企業CM リクルート対策と企業イメージの浸透、定着、拡散のために制作、放送(WEB掲載も含める)される。企業のブランディング戦略の一環。

  • 映像会社がB2Bで請け負う仕事の種類<商品・業務情報系>

    商品・サービスPRビデオ 短尺から長尺まで多種多様に制作されるが、最近では動画共有サイトに掲載して、SNSによって拡散する手法が多用されるため、インパクトの強い、単純な構成が好まれている。    商品・サービスイメージビデオ 上記と同様ではあるが、直接的に商品やサービスを説明せず、商品やサービスが利用されるシーンをイメージで伝えて、購入を喚起する手法などの動画。    商品・サービスマニュアルビデオ 商品やサービスを購入した人に付いてくるDVDなどは、今の時代少なくなってきており、WEB上に掲載して、利用者がストレスフリーで視聴できる形での提供が主流になっている。    イベント映像 イベントのオープニングや進行中に大型スクリーンに投影してイベントを盛り上げる動画から、小規模の展示会のブースに設置したモニターで流す動画まで、多種多様です。    展示映像 資料館や展示館、ブースイベントなどでのモニターで、パネル同様に「展示」される動画の総称。イベント映像と重複する面もある。    記録映像 企業活動にまつわる様々な出来事やイベントを記録した映像、動画。記録としてだけではなく、企業や商品のPR活動のための映像に転用することも多い。

  • 映像会社がB2Bで請け負う仕事の種類<教育情報系>

    営業マニュアルビデオ その企業独自の商品やサービスに関する情報やその営業方法、接客方法を、社員やスタッフに教育、定着させるための動画。以前はロールプレイング型のシナリオが多かったが、今ではあまり見られない。    技術マニュアルビデオ その企業が開発した独自の技術を社内共有したり、技術習得するための動画。外部協力会社やスタッフに標準的な手順や技術を身につけてもうために制作することも多い動画。       社員・スタッフ教育ビデオ 商品やサービス以外の、企業人、社会人としての常識的なレベルでの行動指針やマナーに、その企業独自の社風や習慣を伝える内容が一般的な動画。 学校教育ビデオ 義務教育・高等教育の補助教材ないしは、代替教材としてカリキュラムに沿ったコンテンツでライアンナップを揃えるのが通例です。 研修ビデオ 業務に必要な知識やスキルを身につけてもらうための教材です。コンプライアンスやジェンダーフリーなどの時代の要請がある内容で構成します。    セミナー映像 社員だけでなく、社外のスタッフやお客さまに特定のテーマの情報を集約した内容をプレゼンテーションしたり、解説するための動画である。

  • 動画コンテンツの長さ:短尺にこだわる必要はない

    WEB動画は必ずしも短尺である必要はない 一般的に、WEB動画は短い方が良いという考えが浸透していますが、これを絶対的なルールとして捉える必要はありません。映像制作の目的は多岐にわたり、単に「WEBへの掲載による集客」だけではありません。例えば、WEBに掲載する動画であっても、特定のイベントの詳細な報告や、新しい研究成果の発表など、異なる目的を持つ場合があります。 このような映像コンテンツの主な目的は、必ずしも高い視聴率や高いコンバージョン率を達成することではなく、むしろ視聴者の情報ニーズに対して、過不足なく適切な情報を提供することにあります。確かに、短い動画であれば視聴者維持率(言い換えれば、離脱率の逆)を高く保つことができるかもしれません。しかし、そのために情報量を削減してしまうと、多くの視聴者が情報不足に不満を感じる可能性が高くなります。 一方で、予め対象を絞り、興味を持った人だけをターゲットとする映像制作であれば、内容をより深く掘り下げることが可能になります。ただし、対象を一般大衆に広げれば広げるほど、表面的で興味本位の、本質から外れた映像になりがちであることも忘れてはいけません。このバランスを取ることが、効果的な動画コンテンツ制作の鍵となります。 マーケティングにおける情報の質と量の重要性 たとえ集客(多くの再生数、高い視聴者維持率、多くのコンバージョン)が主な目的であったとしても、マーケティングの本質を考える必要があります。マーケティングとは、単に多くの人々の注目を集めることだけではなく、狙ったターゲット層に対して、いかに純度の高い、十分な情報を効果的に届けられるかという観点からも評価されるべきではないでしょうか。 効果的な営業活動には、「購買意欲の高い人を選別する」というプロセスが欠かせません。確かに、広範囲に情報を発信し、多くの人々の中から潜在的な顧客を見つけ出すような、いわば「ザルですくう」ようなWEBマーケティング手法も一つの有効な戦略です。しかし、それと同時に、より丁寧にターゲットを絞り、一つ一つ慎重に顧客を開拓していく方法も、もう一つの重要なアプローチだと考えます。 この後者のアプローチは、比喩的に言えば、せせらぎの中から小さくても輝く金の一粒を見つけ出すような、細やかで精密な顧客開拓方法と言えるでしょう。このような方法は、時間と労力を要するかもしれませんが、長期的には強固な顧客基盤の構築につながる可能性が高いのです。 あなたの想いが伝わるマーケティングの実現 WEB動画のマーケティングに限らず、ホームページやSNSを活用したデジタルマーケティング全般において、掲載するコンテンツを丁寧に作り込み、あなたや企業の真の想いを一貫して伝え続けることが重要です。そうすることで、必ずあなたの考えや価値観に共感する人々が現れ、あなたの人柄(または会社の理念や姿勢)に魅力を感じ、何らかのアクションを起こしてくれるはずです。 このようなアプローチで得られた反応の強みは、たとえ少数であっても、すでにある程度あなたに共感している人々からのものだという点にあります。これは単なる数字以上の価値があると言えるでしょう。 私自身も、実際にウェブサイトからアクセスしてくださった方々とのやり取りを通じて、たとえ直接的な仕事には結びつかなかったとしても、人と人とのコミュニケーションから得られる貴重な経験が、将来の糧になるような素晴らしい機会を数多く得ています。こうした経験は、長期的な視点で見たときに、ビジネスの成功に大きく寄与する可能性があります。 映像制作者が提案するマーケティング:人間性を重視したアプローチ 結論として私が推奨したいのは、あなたが届けたい情報をそれを求めている未だ見ぬ誰かに確実に届けるようなマーケティング手法です。このアプローチは短期的な成果よりも、長期的な視点で安定した顧客基盤を構築することを目指しています。 動画の長さにこだわるのではなく、伝えるべき内容や視聴者のニーズに合わせて、最適な形式と長さを選択することが重要です。そうすることで真に価値のある情報を提供し、視聴者との間に強い信頼関係を築くことができるでしょう。これこそが持続可能で効果的なマーケティング戦略の核心です。

  • 広告映像の商品撮影は難しい

    テレビCMに映る「商品」の多くがCG 自動車のCMを見ると、そのCMの中を走るクルマのほとんどがCGです。新車のCMはその実車が世に無いうちに制作しなくてはならない、とか発表前でひと目に晒せない、という理由の場合もありますが、多くの場合は、制作者がCGの方が思い通りのクルマを表現できる(と考えている)からです。たしかに質感といい反射といい、すごくリアルで美しいですが、野外の公道であんなに綺麗に撮れるというのも不自然なので、どこかツクリモノっぽさは否めない、と僕は思っていますが・・・。 商品パッケージの撮影 商品の見た目は、その商品の印象を決める大きな要素なので、クライアントも画面に映る商品外観の質感には非常に気を使います。特に化粧品などの美容モノは非常に拘ります。我々映像制作者もそのことはよく知っていますので、CMの撮影であれば相応のスタッフと機材を揃え、事前のテストも行います。化粧品メーカーの広告担当の方は、数多くの現場を見てきていますから、そこに手を抜く制作会社ははじめから相手にしません。そこで実際には、撮影現場のモニターで商品の映りを完璧に確認することは難しいため、事前、事後どちらもチェックや修正のし易いCGで制作しています。こうしたCG技術は非常に高度なものですが、スタジオ撮影で失敗するよりはコスパが良いということもあります。 背景の中に置く商品撮影 例えば高級腕時計とか美術工芸品のPRのための映像制作をする時に、やはりその質感表現は非常に重要です。背景空間のイメージも加えて、より品質を感じさせる映像に仕上げるのが常套手段です。この場合、商品と背景両方の質感、空間印象を創作しながら撮るわけですから、なおさら難しい技術です。また、撮影場所の探索、選定、使用交渉。インテリアコーディネイト、照明設置など、非常に多くの解決課題も立ちはだかります。 なぜCGが使われるのか 1. 自由度の高さ 理想的な表現:  CGであれば、現実世界では実現不可能な素材や光の効果、そして動きを表現することができます。例えば、自動車CMで、雨に濡れたボディの輝きや、夜空を背景にした走行シーンなど、CGならではの表現が可能です。 時間とコストの削減:  実物を使った撮影では、天候や時間帯、場所などに左右され、撮影スケジュールが遅延するリスクがあります。CGであれば、仮想空間で自由に撮影を行うことができるため、時間とコストを削減することができます。 修正の容易さ:  撮影後、イメージと異なる部分があった場合、CGであれば簡単に修正することができます(←これは言い過ぎだろ!)。 2. 高い品質 細やかな質感表現:  CGは、実物では表現が難しい、金属の光沢や、布の質感などを、非常に細かく再現することができます。 完璧な構図:  カメラアングルや照明、背景など、あらゆる要素を自由に調整し、完璧な構図を構築することができます。 3. 安全性 危険なシーンの再現:  爆発や衝突など、危険を伴うシーンも、CGであれば安全に撮影することができます。 貴重な製品の保護:  高価な製品や、まだ世に出回っていない製品を傷つけることなく、安全に撮影することができます。 WEB動画にテレビCMと同じレベルの映像品位? いわゆる「カタログ写真」は、キレイに撮れていますが、一般的にベタ明かりです。シチュエーションに商品を置き、印象的な陰影の中で撮る映像とはベツモノです。そこに更にモデルやタレントが入れば、もっと難しくなります。写真は静止画ですから、一方向からだけ完璧にすれば良いですが、ムービーはカメラが向く範囲全てに気を使わなくてはなりません。テレビCM並みの映像品位をWEB動画予算でつくるのは無理なことです(ローカルCMやテレビショッピングのレベルは別です)。 高級商品広告映像の撮影は、カタログ用の商品撮影とは、次元が異なる仕事です。

  • マーケティング戦略における広報と広告の違いから動画・映像制作を考える

    広報と広告の根本的な違い、そしてその多様化 「広報」と「広告」は、企業が外部に情報を発信する上での重要な手段ですが、その目的や手法、そして求められるスキルは大きく異なります。 広報 は企業や団体の活動全般に関する情報を、ステークホルダー(従業員、顧客、投資家、地域社会など)に対して、透明性と信頼性を保ちながら伝達する活動です。企業の社会的責任を果たし、ステークホルダーとの良好な関係を構築することを目的としています。一方、 広告 は商品の販売促進や企業イメージ向上を目的とし、ターゲットとなる消費者に直接的な訴求を行う活動です。 対象範囲 においても大きな違いがあります。 広報は、企業に関わるあらゆるステークホルダーを対象とするため、幅広い情報を網羅する必要があります。一方、広告は、特定の製品やサービスの購入を促すため、ターゲットを絞り込んだメッセージを発信します。 必要なスキル も異なります。 広報担当者は、企業の活動内容を深く理解し、それをわかりやすく伝えるための文章力やプレゼンテーション能力が求められます。また、メディアとの関係構築や危機管理能力も重要です。一方、広告担当者は、クリエイティブな発想力や、ターゲットの心を掴むための戦略的な思考力が求められます。 現代における広報と広告の融合 近年ではインターネットやSNSの普及により、広報と広告の境界線が曖昧になってきています。特に、企業が自社のYouTubeチャンネルなどで発信する動画コンテンツは、その典型的な例です。 これらの動画は、一見すると広報活動のように見えますが、実際には商品の魅力を伝え、購買意欲を高めるという広告的な目的も含まれています。このような「広報のフリをした宣伝」は、消費者の購買行動に大きな影響を与えています。 「広報のフリした宣伝」の成功と失敗 「広報のフリした宣伝」が成功するためには、広告的な要素と広報的な要素をバランス良く組み合わせることが重要です。しかし、多くの企業が、広報予算で広告的な動画を制作し、結果的に「企画倒れ」に終わってしまうケースも少なくありません。 これは、広告制作には、広報活動とは異なる専門知識やスキルが必要となるためです。広告的な動画を制作する際には、ターゲットを明確にし、そのターゲットに響くようなメッセージを設計する必要があります。また、効果的な配信戦略も重要です。 日本のBtoB映像制作の課題と展望 日本のBtoB映像制作は、海外に比べてその質が低いと指摘されることがあります。これは多くの企業が、広報的な視点で動画制作を行っており、広告的な要素が不足していることが原因の一つと、私は考えています。 企業が広報的な動画を制作する場合であっても、広告的な視点を取り入れることで、より効果的なコミュニケーションが可能になります。そのためには企画段階から、広告代理店や映像制作会社などの専門家と連携することが重要です。 まとめ 広報と広告は、それぞれ異なる目的と特徴を持つ活動ですが、現代においては、その境界線が曖昧になってきています。企業は、自社の状況に合わせて、広報と広告を効果的に組み合わせることで、より多くのステークホルダーに自社の魅力を伝えることができるでしょう。

  • ものの見方が違えば見えているものも違う映像世界:3D脳を持つ映像クリエイター

    「絵心がない」 この言葉では片付けられない、私の独特な視界について語りたいと思います。 私は、文字を書くのも絵を描くのも極めて不得意です。特に、パースペクティブ(遠近法)がどうしても掴めません。立体的なものを平面に表現する際に、一点に視点を固定することが極めて難しいのです。 これは単なる絵心がないという問題ではなく、私は物事を三次元で捉えているからだと考えています。まるで頭の中に3Dソフトが入っているかのように、対象物を立体的に、そして360度あらゆる角度から捉えているのです。つまり、平面的な二次元ではなく、三次元のまま「理解」しているという感覚です。 なーんてね 「そんなのただの言い訳だ!」と思われるかもしれません。しかし、この「能力」こそが、映像クリエイターとして私が最も得意とする部分だと自負しています。 頭の中に3Dソフトが入っているということは、物事を見る視点が無数にあるということです。つまり、一つの対象物に対して、多角的な視点から捉えることができるのです。さらに、頭の中で3Dを動かすことができるということは、時間軸を加えた立体的な思考ができるということです。 映像クリエーターにとって、想像力に時間軸を加えることは、ストーリーを創り出す上で不可欠な能力です。静止画ではなく、動きの概念を加えることで、よりダイナミックで感情豊かな映像を生み出すことができるのです。 この能力は私だけのものでしょうか? 日常において、私は周囲の人々が見えないものを見てしまうことがあります。それは、本当にそこにあるのに、多くの人には見えない視点や側面です。この孤独感は、時に私を苦しめます。それでも、私はこの「3D脳」を活かして、独自の映像世界を創り出していきたいと考えています。 なぜ、私はパースペクティブが描けないのか? それは、私が単に絵心がないからではなく、三次元の情報を二次元に落とし込むことに苦手意識があるからです。私の脳は、物事を立体的に捉えることに特化しており、平面的な表現に慣れ親しんでいないのかもしれません。 3D脳のメリットとデメリット メリット 多角的な視点から物事を捉えられる 時間軸を加えた立体的な思考ができる 映像クリエイターとして、独創的なアイデアを生み出せる デメリット 日常生活において、周囲の人と視界が異なる 平面的な表現が苦手 字が下手、絵が下手 映像クリエイターとしての私の展望 私は、この「3D脳」を最大限に活かし、独創的で感動的な映像作品を創り出していきたいと考えています。そのためには、技術的なスキルを向上させるだけでなく、人間に対する深い理解を深めることも重要だと考えています。 まとめ 「ものの見方が違えば見えているものも違う」という言葉がありますが、私はまさにその言葉通り、独特な視界を持っています。それは、絵画やデザインの世界では必ずしも有利とはいえないかもしれませんが、映像クリエイターとして、私の強みになると信じています。 私のように、一般的な視点とは異なる独自の視点を持っている人もいるかもしれません。そんな人たちが、自分の才能を活かして、世の中に新しい価値を生み出していくことを願っています。

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